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東京キューバンボーイズショウに初出演した1954年の2月、北海道でのジャズショウに出演することに。
第一部はニューパシフィックオーケストラのジャズ演奏、第二部は、ジョージ川口さん、中村八大さん、小野満さん、芦田やすしさんというそうそうたるメンバーのビッグフォー。そして第三部は、中野ブラザーズも出演する東京キューバンボーイズショウ。
第二部のビッグフォーの演奏で歌を唄っていたのが、憧れの江利チエミさんだった。
チエミさんのお父さんは、二人が「中野チンピラ劇団」として吉本興業に所属していた時に、同じ吉本で柳家三亀松師匠のピアノや三味線を弾いていたこともあり、少年時代の啓介と章三をよくかわいがってくれていたのだ。
北海道で再開した時「なんだ、啓ちゃんと章ちゃんじゃないか、びっくりしたなあ」と驚き、懐かしがってくれた。そしてその後は自分の息子のように面倒を見てくれた。チエミさんの兄の亨さんも、二人をまるで本当の弟のようにかわいがってくれた。
旭川、小樽、札幌の15日間の公演はすべて大入りの満員。チエミさん家族と一緒に食事をしたりお話をしたり、とても嬉しく楽しい日々だった。
その年の7月には、東京キューバンボーイズショウで、四国、京都、大阪、神戸、姫路、広島、小倉、福岡、佐賀、佐世保など50日間をかけて巡演。10月には北海道。12月には銀座、朝霞、横須賀、横田など米軍キャンプを廻った。
朝早い汽車で移動して、到着したらすぐに1回目のステージ。1日3回のステージをこなすハードなスケジュールながら、19歳と17歳の二人は疲れを知らず。とにかくお客様の前で踊って大きな拍手や歓声をいただくことが、嬉しくて楽しくて仕方がなかった。
千歳、三沢、仙台の米軍キャンプでは「渡辺晋とシックス・ジョーズ」のジャズショウにも出演。バンマスの渡辺晋さんと奥様にも二人はよくかわいがられた。その後、渡辺晋さんご夫婦とは何度となく舞台でご一緒した。
渡辺晋さんは、後に日本有数の芸能事務所となった渡辺プロダクションの社長である。
その年の12月24日、有楽町で芸能人のパーティーに出演したとき、江利チエミさんとお兄さんの亨さんがパーティーに参加していた。そこで、なんと日劇の『江利チエミショウ』への出演を依頼されたのだ。思わぬ出演オファーに、二人は飛び上がるほど喜んだ。
憧れの江利チエミさんと、憧れの日劇の舞台でタップダンスが踊れる!
またひとつ、二人の夢が叶う日が来るんだ!
その夜、母と三人で夜が更けるのも忘れて喜び合った。

1956年、日劇『江利チエミショウ』
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