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Lobby Nakayama

中野ブラザーズヒストリー Vol.5 ~映画進出!子役売れっ子時代~

更新日:2020年5月5日

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。

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京都を中心に、関西地方で活躍をしていた小雀劇団は映画にも進出。

1948年から51年にかけて、二十数本の映画に出演した。啓介は12歳を過ぎて少しずつ大人びてきたこともあり、子役としてはやや不向きに。その点、章三は背が小さくて子役としては重宝された。

また、太秦で撮影しながらも東京の物語が多くあり、東京本所生まれなので京都なまりや関西なまりがないセリフが言えた章三は、とても重宝されたという。


当時いくつかあった太秦の撮影所を、子供ながらにはしごをして昼夜撮影にいそしんだ。

この頃、章三は「日本一ギャラの高い子役」と大人たちに揶揄された。


==当時出演した主な作品==

『春爛漫狸御殿』 木村恵吾監督、大映映画

『二十一の指紋』 松田定次監督、大映映画

『にっぽんGメン』 松田定次監督、大映映画

『月光城の盗賊』 島耕二監督、東横映画

『忘れられた子等』 稲垣浩監督、新東宝映画

『女殺油地獄』 野淵昶監督、大映映画

『無頼漢長兵衛』 亀井文夫監督、東横映画

『毒牙』 春原政久監督、東横映画

『レ・ミゼラブル』 伊藤大輔監督、東横映画

『春風無刃流』 萩原遼監督、東横映画

『万花地獄』 安達伸生監督、大映映画

1949年『忘れられた子等(こら)』

左から笠智衆さん、堀雄二さん、(手前中央)章三


1950年『レ・ミゼラブル』

左:早川雪舟、右:章三

阿蘇山ロケにて







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