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中野ブラザーズヒストリー Vol.14~江利チエミさんとの初共演!そして日劇に初出演~

更新日:2020年5月5日

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。

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1956年4月、名古屋毎日ホールのこけら落とし公演で、憧れの江利チエミさんとの初共演。そして翌月の5月の連休には、日本のショービジネスの殿堂である日劇でチエミさんとの共演となった。あの特徴的な丸い外壁の大看板に、中野ブラザーズという名前が初めて掲載されたのだ。

江利チエミさんと日劇という大きな二つの憧れが同時に目の前に現れ、啓介と章三は感極まる思いだった。

しかし、日劇への出演に大きな壁が立ちはだかった。

日劇には所属している男女のダンシングチームがあり、なぜ外部のダンサーをわざわざ出演させるのかという日劇幹部からの反対意見が根強くあった。

その声を一蹴したのが、チエミさんだった。

チエミさんは反対する幹部を前に「私は中野と踊りたいのよ!二人を出演させないのなら、私は日劇には出ないわよ!」と言ってくれたのだ。

晴れて正式に日劇への出演が決まり『江利チエミショウ ジャズ娘に栄光あれ』という舞台が初日を迎えた。大勢のバックダンサーの前で歌うチエミさん。それがスウィングのリズムに変って中野と三人でのタップダンス。

身体は震え、心臓はドキドキ、舞台に立っているのか宙に浮いているのかわからない程の緊張で震えが止まらなかった。

次のシーンでは、松本文男&ミュージック・メーカーズのジャズオーケストラで、ミスター・アンソニーブギ(Mr. Anthony’s Boogie)を二人で踊った。

客席にいるのはチエミさんのファンなのにもかかわらず、中野ブラザーズのタップダンスに大きな歓声が沸き、拍手が鳴りやまなかった。その光景を舞台袖で観てくれていたチエミさんは「中野と一緒に踊れて、私も鼻が高いわ!」と言って喜んでくれた。

その言葉と客席の歓声が頭から離れず、二人は楽屋でしばし恍惚とした。

9月には日劇でチエミさんとの二回目のショウ。三人で下駄を履いて”下駄タップ”を踊り、大歓声を浴びた。それが好評で、チエミさん初の民謡集LPレコード『チエミの民謡集』の中の「おてもやん」にタップの音を入れて録音した。

その後は、江利チエミさんが行くところ、歌うところにはいつも中野ブラザーズが一緒だった。他のダンサーさんやタレントさんからは、とてもうらやましがられた。

1956年、日劇

『江利チエミショウ ジャズ娘に栄光あれ』パンフレット


同、ジャスト・ウォーキング・イン・ザ・レイン

左から、章三、チエミさん、啓介


民謡集LPレコード『チエミの民謡集』

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