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中野ブラザーズヒストリー Vol.16~タップの神様!フレッド・アステアが目の前に!~

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。

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1957年の正月は、元旦から5日間連続で大阪南ミナミの大劇(大阪劇場)の『江利チエミショウ』で始まった。翌週は東京に戻り、日劇でのチエミショウ。東京でも大阪でも、劇場は毎回大入りの満員。

この年、チエミさんと章三は二十歳の成人式を迎えた。これでお酒が飲める歳になったのであるが、実は以前から飲酒をしていた。旅公演での夜の食事はチエミさんたちとビールでお疲れ様の乾杯をして、食事をしながらウイスキーなどを嗜んだ。二十歳になるころには、だいぶお酒の味もわかるようになっていたのだ。

チエミさんとの舞台は、踊る楽しさに加えて、チエミさんのお父様やお兄様やバンドの方々が二人を非常にかわいがってくれて、家族と過ごすような、心から楽しい時間だった。

その年、ミュージカル映画『パリの恋人』が上映された。中野ブラザーズをタップダンスにいざなったフレッド・アステアと大好きな女優のオードリー・ヘプバーンが主演のおしゃれでハイセンスな映画である。待ちに待ったこの映画を、封切りしてすぐに観に行った。もちろん1回では足りずに続けて2回観て、アステアのステップを目に焼き付けた。

その時、二十歳の章三に飛び上がるような喜びが舞い込む。

なんと!タップの神様!フレッド・アステアに逢えることになったのだ。

映画の宣伝のために来日していたアステアが、雑誌「映画の友」のインタビューで映画世界社に来ることになっていたのを、編集長の淀川長治先生が教えてくれて面会させてくれることに。嬉しくて浮足立って、前夜はなかなか眠れず、うたた寝の夢の中にもアステアが現れた。

次の日、予定時間よりもかなり早く有楽町の映画世界社に到着し、窓の外の景色を見ながらはやる心を落ち着かせた。

すると、帝国ホテルの方から軽やかに歩いてくるアステアの姿が目に飛び込んできた。緊張が高まり心臓が破裂しそうだった。やがて部屋に入ってきたアステア。つい先日『パリの恋人』でスクリーンの中で華麗に踊っていたアステアが!少年の時に何度も何度も観た『踊る結婚式』で神のようなステップを披露していたアステアが!目の前にいる!

57歳とは思えないほど若々しくスマートで紳士的なアステアを、しばし茫然として見惚れていた。

淀川先生にご紹介いただき握手をした。そしてドキドキしながらプレゼントの舞扇子を渡した。アステアはとても喜んでくれた。

その後、アステアと淀川先生と章三の三人で映画の撮影時の裏話など、ワクワクするような楽しい話が続いた。

『パリの恋人』の撮影話になると、あのロマンチックで素敵なラストシーンが瞼に鮮やかによみがえり、目の前のアステアに心底酔いしれた。

その時に撮ったフレッド・アステアとのツーショット写真は、章三の宝物である。

二十歳の章三の、生涯忘れられない大切な思い出となった。

余談になるが、なぜ啓介がその場にいなかったのか。淀川先生は啓介も章三も呼んでくれたのだが、啓介は、前夜に飲みすぎてしまい、二日酔いで来ることができなかったのだ。

なんとも兄弟の性格が如実に表れた微笑ましい後日談である。

1957年、来日中のフレッド・アステア氏と

有楽町の映画世界社にて


1957年、江利チエミ後援会東京主催の「茶話会」に同席

※筆者の亡き母も後援会に入っていたので参加していた可能性も…

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