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中野ブラザーズヒストリー Vol.18~夢のラスベガス編①大きなチャンス到来~

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。

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1959年の2月に結婚をして芸能界を引退した江利チエミさん。その時、スポーツ新聞や週刊誌では「チエミ結婚・引退!中野ブラザーズは終わった」としきりに報道された。

チエミさんの盟友として、数多くの舞台などを共にしていた中野ブラザーズは、今後仕事がなくなるというのである。

実際に、チエミさんにここまで有名にしていただいた中野ブラザーズ。啓介と章三にも焦りがなかったわけではない。

しかし、チエミさんがいなくても、ちゃんと舞台で活躍することが、チエミさんへの恩返しだと前向きに考え、二人はいつにもまして奮闘した。

そんな中、ラスベガスのホテルで日本を舞台にしたショウが計画されていて、都内でオーディションが開催されているとの情報が耳に入った。関係者に誘われてオーディションに行くと、そこにはプロデューサーのスティーブ・パーカー氏がいた。

開口一番「中野ブラザーズか、君たちを探していたんだ!ラスベガスに行ってくれるか?」と言われ、二人は二つ返事で了承し、その場で出演が決定した。

チエミさんの結婚・引退が2月、ラスベガスでの舞台出演が決定したのが3月、それから3か月間は毎日リハーサルが続き、そして7月5日に渡米が決まった。すべてがとんとん拍子で進んでいき、不安を感じるどころではなかった。

その当時、海外へ行くということは今とは違い、ものすごく遠いところへ行くという印象が強かった。そこで、チエミさんとお父様が中野ブラザーズの壮行会を開いてくださった。食事をして二件目に赤坂のお店に行ったところ、そこに美空ひばりさんとお母様がいらして、一緒に二人を祝ってくれたのだ。

チエミさんとひばりさんに囲まれて、感無量の二人。何が何でも成功させないとお祝いしてくれたお二人に申し訳が立たないと、武者震いがした。

その夢のような壮行会で、啓介と章三は「必ず成功させて帰国します」と宣言した。

7月5日、羽田空港からラスベガスに向けて、大きな夢と希望と、嬉しさと不安と心細さと、様々な気持ちが入り交じる中、母や大勢の方々に見送られ、飛行機はいざ飛び立った。

ショウが開催されたラスベガスのニューフロンティアホテル

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