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中野ブラザーズヒストリー Vol.3 ~戦中から敗戦後~

更新日:2020年5月5日

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。


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1945年3月10日、大阪大空襲で家を焼け出された中野一座。雨のように降ってくる焼夷弾から命からがら逃げ伸びる。奈良の生駒に疎開していた中野チンピラ劇団の子供たちは無事だったが、この空襲で疲労心痛した父・大洲橘次郎は大空襲から2週間後の3月27日に息を引き取った。

日に日に戦局は悪化の一途をたどり、中野チンピラ劇団は解散。


8月15日の終戦とともに、知人であった浅草美ち奴(みちやっこ)さんの住む京都東山の家でお世話になることに。


浅草の人気芸者だった美ち奴さんは、松竹映画に出演したことをきっかけに、その美声が評判を呼びレコード歌手としてデビューし、当時の人気歌手となった。


美ち奴さんの実弟は、ビートたけしさんの師匠として知られるコメディアンの深見千三郎さんである。

当時、深見千三郎一座は全国巡業中に深見さんの奥様に子が授かり、奥様が演じられている舞台の幕に穴が開いたため、章三(9歳)が子役として日舞を踊ったりして幕を埋めていた。当時の深見さんは30代の若き座長。章三は、深見千三郎一座の立派な役者として九州巡業を共にした。巡業中、章三は深見さんに甘酒といわれて飲んだのがどぶろくで、その後、酔っぱらってえらい目にあったという。

浅草美ち奴さんのプロマイド


美ち奴さんの自宅の屋上で中野チンピラ劇団と一緒に

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