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中野ブラザーズヒストリー Vol.8 ~タップダンスの初舞台~

更新日:2020年5月5日

日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。


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吉田タケオ先生にステップを教わって2カ月後、福岡の柳橋劇場で子供6人が出演する小雀劇団のショウがあり、ダンスの中に初めてタップダンスを入れて舞台でお客様の前で踊った。


1949年(昭和24年)、啓介13歳、章三11歳。本格的なタップダンス人生がスタートした瞬間だった。

小雀劇団が居住していた京都の旅館「さくらや」は、太秦に撮影に来たやスターさんや監督さん、脚本家の方々もよく宿泊していた。

そこで『のど自慢狂時代』という映画に出演中の美空ひばりさんと出会うことに。

ひばりさんは撮影中に風邪をひいてしまい、1日撮休して部屋で養生していた。

そこで、小雀劇団の子供たちでお部屋にお見舞いに行き、啓介や章三は得意の踊りをひばりさんに見せた。退屈していたひばりさんはとても喜んでくれて、そのお返しにと、今度はひばりさん自身がアカペラで歌を唄ってくれたのだ。


後日、ひばりさんと会うことがあり、そのことをお話したら「よく覚えているわ」と笑っていたという。

その後二人は、米軍キャンプのショウでも踊ることになり、芝居よりもタップダンスの仕事の方が忙しくなっていった。


米軍の仕事は、オーディションを受けてランク分けされる。二人は子供ながらに最高ランクのAクラスとなり、出演料もどんどんアップした。

1949年、米軍キャンプで洋舞「No Can Do」からの早替わり後に、日舞「三つ面子守」を演じる章三

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