中野ブラザーズヒストリー Vol.21 ~夢のラスベガス編④いざ!初日幕開け~
日本を代表する #タップダンサー #中野ブラザーズ の昭和の芸能界を彩り、駆け抜けた栄光の軌跡を紡いでいきます。
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1959年7月18日20時15分
中野ブラザーズにとって忘れられない日時である。
いよいよラスベガスで『ホリデイ・イン・ジャパン』第一景の幕が上がった。
章三が演じる左甚五郎の日舞と花魁ダンサーによるショーは観客を見事に魅了し、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
第二景は中野ブラザーズのタップダンス!
数時間前に出来上がったばかりのタップの振付けを頭で何度も反芻しながら、二人は覚悟を決めて舞台に出て行った。
和服を着ての下駄タップで会場は大いに沸きあがり、拍手の大きさで身体が飛んで行ってしまいそうだった。
燕尾服に着替え、現代の日本の場面でも信じられない程の歓声と拍手の渦だった。
フィナーレの歌が終わり、出演者全員でお辞儀をすると幕が下りてきた。
観客からの凄まじい「アンコール」の歓声と拍手で、幕が下りるとすぐに幕が上がり、また下りては上がり下りては上がり、それでもまだやまないアンコール。
なんと、カーテンコールが9回にもなった。
最後は、プロデューサーであるシャーリー・マクレーンが舞台に現れて、ようやく初日の幕が下りた。
啓介も章三も、出演者のみんなも、下りた幕の内のステージで顔をくしゃくしゃにしながらうれし泣きをした。
この初日の9回ものカーテンコールで『ホリデイ・イン・ジャパン』のロングラン公演が決まった。
啓介24歳、章三22歳の夏の出来事であった。
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1959年『ホリデイ・イン・ジャパン』現代の日本の場面

同、フィナーレ